・カメラマンの私の心は、ピントが合わないぼんやり世界。

写真ではなく、文章で。
言葉で描く世界を勉強中です。
今回の記事は私の心の中のこと。
ぜひ読んでください。

天狼院メディアグランプリ掲載記事

台風。
それは私にとって絶好のチャンス。
人生でカメラを手にするまでの台風のイメージはまるで違った。
九州の太平洋に面している宮崎育ちである私の幼少期は、台風直撃が夏の定番行事。台風が来るとわかってからの準備は盛り沢山である。まずは停電を想定して家中のあらゆる家電製品のチェック。冷蔵庫の中のものは確実にダメになるので、食べるか捨てるかお母さんがガサゴソと品定めをする。玄関先のお花やジョウロ、乱雑に置かれた遊び道具のボールや縄跳びは、台風に連れ去られ、始めから無かったかのように綺麗さっぱりどこかへ行ってしまうので、事前に庭の物置に無理やり詰め込まなければならない。自転車も倒しておく。それでも後から見ると若干場所が変わっているけれど……。いつもは庭でご機嫌なゴールデンレトリバーのチェリーも、なにかが迫って来るのを察しているらしく、小さくなって上目遣いでこちらを見ている。この日ばかりはチェリーもお家の中で一緒に台風通過を願うことになる。と言うよりは、助けてくれー! と、一晩中吠え続けることになる。最後は家中の雨戸を閉める。お隣の屋根瓦が飛んできて、ガラス窓を直撃し、家の中が大惨事になることなど宮崎では珍しくない。
停電して真っ暗な部屋の中、ダイニングテーブルの下にお母さんと弟と3人身を寄せ合って、この世のものとは思えない轟音と、容赦無く家に体当たりして来る爆風の振動に、ろうそくの明かりを支えに一晩中耐えるのだ。肝心のお父さんは単身赴任。それはそれは怖い思いをした。
話がそれたが、そんな暗いイメージを覆し、今の私にとって台風は絶好のチャンスとしてインプットされている。
台風の次の日というのは撮影に最も適した条件になるのだ。カメラで星空を撮影するようになってから知ったのだが、台風は掃除機のように、空気中のチリを吸収し太平洋へ消えていくため、次の日には曇りのない澄み切った夜空を見せてくれる。
そうと分かれば、いつもの大きなザックに、カメラとお気に入りの本を詰め込み、湖のほとりにある宿へ向かうことにしよう。
バスの中、何気なく開いた本の第1章が、
「満点の星空」
なんてついてるんだろう。今日は必ずいい写真が撮れそうだと、本の神様に背中を押されて旅のスタートをきる。
真夜中、他のゲストが寝静まり、月が地平線に沈んだ後に訪れる真っ暗な世界。夜の始まりがこれほどまでに神秘的で美しいものだとは、普段都会で生活していて気付くのは難しい。刻一刻と変わる光の変化に、瞬きするのも勿体無い。心静かに地球を見つめる。闇。森も生き物も存在を隠すかのように、だれひとりとして物音もたてず、息を潜めて、太陽が現れるまでの時間を静かに目を閉じて過ごしているのだろう。湖畔に立ち、まるでこの世界にひとり取り残されたのではないかと思うほどの静寂……。夜空には満天の星が輝いているが、あまりにも壮大な自然を前に、怖いという思いがよぎる程。引きずり込まれて、宇宙に落っこちそうな感覚に襲われる。
カメラのシャッター音が世界に響き渡る。
最高の瞬間だ。
カメラに夢中になっている間に地球はゆっくりと周り、太陽の光が私たちの世界に一日の始まりを知らせる。
この、静寂に響き渡るシャッター音、その瞬間が私のすべてである。その前も、その後も、私には重要ではない。
本題に入るが、私はとにかく自分の思いを言葉にするのが苦手で、学生の頃は、こんなにも自分の意見が言えないのであれば仕事なんてできるはずがないと、社会に出ることを恐れていた。読書感想文も、本の内容を丸写しするしかできなかった。器用貧乏だから、何事も当たり障りなくこなし、目立つことも劣ることも避け、とにかく自分の意見を言う場を回避できるルートを通って来た。
本を読むことも、映画を見ることも、アートに触れることも、人一倍好きだと自信を持って言えるが、感想を言うことができない。
私の心の中は常にぼやけていて、ピントが合っていない状態なのだ。
感覚的な感情の波は大きく揺れ動く方なので、涙もろく、喜怒哀楽はいちいち激しく忙しい。
それなのに言葉にすることはできない。
もうひとつ困ったことに、自分の意見を主張しようとすると、勝手に涙が溢れて来る。上司に怒られて悔しくて泣くのは分かるが、部下に注意する時もなぜか涙が止まらない。イベントでその日の感想を求められても、楽しかったですと言ったそばから泣き始める。
どこか壊れているのだろうと、自分は病気なのだと思っていた。
星空の写真を撮りに出かける前は、この先茜先生はどんな世界を見せてくれるのですかと期待され、撮った後はこの写真にはどんな想いを載せたのかと皆が私に語らせようとする。
先ほど述べたように、シャッターをきるその瞬間が私のすべてである。その前も、その後も、私には重要ではない。だって言葉にできないのだから。
外面がいいから自分の中身を知られるのが怖いのだ。
きっとそうだろう。
カメラという道具は嘘を写すことはできない。目の前に広がる現実世界を切り取ることしかできない。0を1にすることはできないが、1を100にも1000にもすることはできる。私はそれが性に合っている。
心でなにも考えていないわけではない。でも言葉にはできないのだ。それなら写真を通して気持ちを伝えればいいじゃないか。私のフィルターを通して見る景色からは自分の中身を覗かれるような心配もいらない。私の写真を見て、「音楽が聴こえて来る」「風を感じる」と、言ってくれた人がいた。言葉の代わりに、写真で伝えることはできるようだ。
台風というのは、中心にとんでもなく静かな空間を隠し持っている。人間にはどうすることもできない、自然の脅威に脅かされる長い時間の最中、ある時を境に、嘘のように静かな時間が訪れる。それが台風の目だ。荒れ狂う顔をした台風の中にも、ぽっかりと、穏やかで優しい一面を持ち合わせているのだ。きっとそれがないと台風は成立しないのだろう。
私は台風の目の静けさを知っている。
あんなふうに、もがき苦しみ悩み時に涙を流し戦い続ける人生の中で、まんなかには静かで動かぬものを持っていたいと思う。
その部分で写真を撮っていきたい。
言葉にできなくても、
想いは伝わるだろう。
ピントが合った先には、言葉ではなく、美しい景色が見えるのもいいじゃないか。